45: NS速報 2018/02/08(木) 19:51:51.82 ID:hXAvAnoHM
そういうこと。
ゲームの最大の魅力はインタラクティブ性。
こちら側の働きかけに対して向こう側が
何らかのリアクションを返してくる。
それがないのは正直自分の中では電子小説と同じような扱い。
すごろくはゲームなのかどうかと似たような問いだな
サイコロの不確定性あるし、選択肢あれば
戦略が出てくるのでゲームになるね。
ビジュアルノベルは、コマンドRPGから戦闘などの
戦略を抜いたゲームという印象。
選択肢に回数制限があり、様々なエンドを見ることで
新たなルートを選べる形式
それを脱出ゲーム調にして、選択肢をグラフィカルにした形式
聞く、見る、等の初期のコマンド入力型をコマンド選択型に
変更しただけで、総当たりさせる形式
まぁ色々と工夫されてるが、要するにプレイの没入感が大事なので
ゲームか否かなんて、どうでも良いよーな。
スポーツには技量や選択という要素が豊富にあるでしょー
不確定性はあってもプレイヤーの意思を反映するものではないからなぁ
ぶっちゃけ自動的にサイコロを振り続けるだけの装置があれば
人間が盤の前に座ってる必要すらねえ
それでもゲーム扱いとなるケースはあるってことだ
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選択肢による変化が少ない
こういうのはゲームじゃない
小説読んだほうが絶対良いだろうと思ってしまう。
なぜかものすごく不自由に感じる
yu-noみたいなのはやっぱ小説の体験とは違うな
ループ物が逆にゲームから再流行してしまったが
あるならゲームでいいんじゃない?
あれは完全なる運ゲーでありイカサマなどを考慮に入れなければ
プレイヤーの選択や技量が入り込む余地が一切ない
誰がプレイしていても同じこと
ゲーム論の定義的にはこれはゲームではない、と言いたいところだが
残念ながら世間一般ではゲーム扱いだよね
スポーツ を ゲーム に含めるか否か?で分かれる意見だな
学術的には含む(ルールがあって の部分から)としているが、
ゲーム理論(ジレンマと駆け引き) からは外れてるね
ゲーム理論という学術的な観点で
サウンドノベルのグラ重視版として。
ビジュアルノベルという呼称が使われたのはleafのTo Heatが最初
雫、痕、東鳩の初期leaf3部作が今のノベルゲーの流れの発端なわけだけと、
雫痕とビジュアルノベルと名付けられた東鳩には実は決定的違いがある
雫痕の元ネタはもちろん弟切草かまいたちの夜という
チュンソフトのサウンドノベルなんだけど、これには初回プレイでは
トゥルーエンドには絶対到達できず、何度もプレイしてロックを外し
新たなシナリオを見つけていくっていう
明確なゲーム性があってそれを踏襲してる
でも東鳩からは初回プレイからでも「正しい選択肢を選べば
どのヒロインとのエンドでも見られる」とう作りになった
開発的にもややこしいフラグ管理とかしなくていいからラクなので、
以降ノべルゲームは物語を読ませる方向に特化していって
選択肢の意味は薄くなりゲーム性は下がっていく
でもゲームとしての開発がラクになったおかげで個人や同人からの
ヒット作も生まれるようになる
叙述トリック的には他で代替できない要素はあるな
表現媒体としてはそうでも、ゲームか否かというと人によるだろうが
「リアルサウンド」を知らないだろうな。
アレに比べると紙芝居ゲーはゲームにカテゴリされる。
風のリグレットは選択肢あったよーな
映像作品て感じはする
プレイヤーのアクション次第で変化が生まれるならゲームかな
こーゆうのは書籍では表現できない。
内容が変化するならゲームだろ。
選択肢無しで一つの話を読むだけならゲームではない。
選択肢で変化する表現は
ゲームじゃなきゃ無理なわけだし。
http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/ghard/1518083149/